アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館

ポーランドのアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館を訪ねました。

「第一強制収容所(基幹収容所)」と「第二強制収容所(ビルケナウ)」を併せてアウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館となっています。私たちは英語ガイドさんに案内してもらう3時間半のツアーに参加しました。

第一強制収容所の正門。「ARBEIT MACHT FREI (働けば自由になる)」。

ヨーロッパの中心に位置し、交通の便が良く、広大な土地があることからこの場所に作られたそうです。ヨーロッパのほとんどの国から強制連行されここに連れてこられました。

第一強制収容所の敷地内。
緑が多く、建物の外を歩いている分には気持ちが良いくらいで、複雑な気持ちになります。

ヨーロッパ各地から強制収容所へ連れてこられた人たち。

没収された靴。
この他にも、メガネ、カバン、食器など、持ち込んだ後に没収されたモノの山はその数の多さを感じることができました。中でも、女性の髪の毛の山(撮影禁止)が一番衝撃でした。長い髪をウールの代わりとして使ったそうです。

三段になったベッド。人間の寝る場所とは言えない劣悪な環境。

このトイレはましな方で、板に穴の空いただけのトイレもあり、被収容者は一日二回(朝と夜)しか使うことが許されなかったそう。

「死の壁」
多くの被収容者、主に反逆者が銃殺刑に処された場所です。

収容の際に撮影された被収容者たち。
縦じまの囚人服には、分類のためのマークがつけられています。「政治犯」「一般犯罪者」「移民」「同性愛者」「ユダヤ人」など。

高圧電流が流れていた鉄条網。
推定150万人が殺されたこの場所で、脱走に成功したのはたった百数十人だそう。

「第二強制収容所ビルケナウ」
総面積は東京ドーム約37個分の広大な土地。ここに収容するための建物など300以上の施設がありました。今はいくつかの建物が残されています。一部を周るだけでも1時間かかったほどとにかく広いです。

当時は、施設の中に鉄道を引き入れていたそうで、それがこの有名な場所です。被収容者を乗せた列車もここに到着し、すぐに選別されたそうです。

「シャワー室」
選別で、25%は労働へ、残りの75%はそのままシャワー室と呼ばれたガス室に直行し、殺されました。

収容された人々の国の言葉で書かれた碑文が並んでいます。

英語バージョン
For ever let this place be a cry of despair and a warning to humanity, where the Nazis murdered about one and a half million men, women, and children, mainly Jews from various countries of Europe.
Auschwitz-Birkenau 1940 – 1945

  
冬に行くとより一層厳しい環境が感じられるそうですが、私が行ったのは夏の天気の良い日。収容所が動いていた5年間のあいだにも夏はあったわけで、絶望的な生活の中で新緑や青空を目にし、どんな気持ちだったのだろう、と違ったかたちで想像することになりました。

今まで本や映画でどれだけ残酷なものだったか知ることはあっても、この場所を訪れて心から繰り返してはいけない歴史だと感じました。自分の目で見ることができて本当に良かったです。
アクセスの良い場所では無いし、訪れるとなったら丸一日使うことになるでしょう。それでも、ポーランド、もしくは近隣の国に行くことがあれば足を延ばす価値のある場所でした。
 
《オススメ》アウシュビッツでの日本語ガイド付き現地オプショナルツアーあります!(ワルシャワ発・クラクフ発)「VELTRA」
 
「アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館」
Więźniów Oświęcimia 20, 32-603 Oświęcim
8:00〜15:00(ガイド無しの場合は、朝早くと夕方のみ入場可。ガイドは事前予約必須。)
ツアー料金(英語・3時間半コース)45zł(約1,376円)
http://www.auschwitz.org

オシフィエンチム(Oświęcim)駅から徒歩20分。駅の周りには特に何もない小さな街です。最寄りの大きな街カトヴィツェもしくは観光地クラクフに宿泊して、電車やバスで日帰りするのが良いと思います。